『平凡』の平凡な思い出(209) ―ロンドンで『ぐつぐつ』を!Ⅴ―

 

  『平凡』の平凡な思い出(209)
               ―ロンドンで『ぐつぐつ』を!Ⅴ

 

3月26日、TBS-TVの『ニュース23』に”厚化粧の都知事”が長い時間出演し「新型ウィルスの危険性」と、それに関し「在宅勤務」と「週末と夜間の外出禁止」を都民・市民に要請、呼びかけていました。
その中で、聞き手が3人も4人もいるのに小川キャスターが「この時期になったのは(遅れたのは)オリンピックの延期が発表になった後だからではないか?」と質問をしていました。
それに対し都知事は「関係ありません、はい」この一言で、確かすぐにCMに入ってしまいました。今でいう”スルー”。こう言うのを”とって付けたような質問”と呼ぶのではないでしょうか?
オリンピック延期が発表されたのが24日、都知事の会見・要請が25日、そして26日のTV出演。
本当に感染が心配、東京が危険と考えているなら、延期発表前に同様の発信をしていたことでしょう。そう考えるのが普通です。
何か談合のようなことをしているのかと疑ってしまいますね。
何でこんなに日本のマスメディアは甘いのか?
外国人等特派員協会だったらきちんと質問して、相手が答えなかったりはぐらかしたら聞き直しますよ。それがジャーナリストの仕事の基本でしょう。

 

また他にも議員やら秘書官、それに首相夫人がパーティ花見をして、それをまた首相が居直る風土?

2週間ほど前ですけど、デンマークから来ているヘンリックの話によるとデンマークでは新型ウィルスの影響で働けない人に給与の8割を向こう3か月間支給する、と発表されたと聞きました。それでネットで調べてみると、
”政府から75%(ただし、月37万円、時給労働者は41万円を上限とする)、企業が残りの25%を負担し、その代わりに労働者は年次有給休暇を5日返上するとの取り扱いとなります”と出ていました。

 

日本でもバイト学生が「でも働かないと食べていけなくなる」、
居酒屋の店主が「先にお金(生活補償)のことを言ってくれ」、
とマイクに向かって話していました。
普段、自己責任言い換えれば個人主義が発達している国では非常事態に即し生活補償をすぐに決め、普段は個人が抑えられ集団を優先する国が決められない。これもおかしなものですね・・?

「上からの要望」だけでなく「下からの要求」がすなおに通用する社会にしていかなければいかんでしょ!

原発に関しても同じことが言えます。
FUKUSHIMAの事故の後、ドイツやスイス等、下からの要求があり原発廃止が決まった国がいくつもあります。それまで推進していた国・政党でもその声を聞かなければ、次の選挙で負けてしまうからですよ!

 

 

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ー駅 ロンドンー

 

そして、これからは以前ヤフーブログの時に載せたものですが、あまり参考にはならないでしょうが、もう一度書かせてもらいたいと思います。
題して『カトマンズで生インスタントラーメンを』。
実は私、他国で外出禁止令を体験したことがあります。
2004年ネパールのカトマンズででした。
その折、フリーランスで約半年間ネパールを取材中での時でした。

ある日、突然暴動が発生しました。
中東のヨルダンに働きに行っていた10人ほどのネパール人が現地の手配師により戦争が起きていたイラクに回されました。そこで全員が見せしめのため処刑されてしまいました。その映像がインターネットを通じてカトマンズ市民の目に焼き付かれました。市内にはネットカフェが多数あります。
それに激怒したカトマンズの若者たちが中東系の旅行会社のオフィスや小売店を叩き壊しました。パソコンは外に投げ出され、窓ガラスは散乱、ドアは剥ぎ取られ、抗議のためタイヤを道路の上に置き燃やし悪臭が強く臭う・・・暴徒化しました。
それで、政府は緊急に外出禁止令を施行しました。

私はその日は取材行為で街中を歩き回っていましたが、翌日からはまったく市民は外に出られなくなりました。小路から外に出ようとすると、銃を持っている兵士の姿が見えるだけ・・。“死の街”でした。ま、恐いですよ・・。情報はラジオとテレビから得られました。私はネパール語がまったくわからないので、友人のバルから英語を通して聞きました。近所の人たちはアパート群の間に挟まっている中庭に出てしゃべり合ったりチェスをやったりして時が過ぎゆくのを待ちました。

私はバルの部屋で奥さんが商っているバナナを食べて空腹を満たしました。
そして、翌日は1時間だけ外出が認められました。商店もその時間だけ開くことができ、市民は大挙街に出て食料品を買い求め、私もビスケット、インスタントラーメン、ミネラルウォーター、コーラ等を買い置きました。
火がないものだからインスタントラーメンを生のままかじりながら普段は見向きもしないコーラを飲んだりで・・・。晩はバルの家でインディカ米のごはんを手で食べたり、でした。そして、その翌日は外出できる時間が2時間になって、結局5日間ほどで平常に戻りました。

勿論ある程度の読みと覚悟を持って向かった訳ですが、いざこのような境遇の中に入ってみると、“フツウ”がいいと思うものですよ。

私の“フツウ”とは炊きたてごはんに焼き海苔ですね・・。卓上にキッコーマンの醤油があってね・・それと少し濃い目のお茶さえあれば後はもう何にも入りませんね。ホントうまい!

 

                            ーボンちゃん

 

 

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『平凡』の平凡な思い出(208) ―ロンドンで『ぐつぐつ』を!Ⅳ―

 

  『平凡』の平凡な思い出(208)
            ―ロンドンで『ぐつぐつ』を!Ⅳ

 

マスクに続いてまたぞろトイレットペーパーの買い占めに走る・・。約50年前(オイルショック)と比べて日本人はあるいは人類は何も学んでいないのか・・・?

(9年前の3.11の時、西日本の方でも乾電池が売り切れてしまう現象が起きましたね・・)
それにしてもあんなもん、いざとなれば新聞紙を四角く切ってね、それでケツを拭けば何てことないっすよ。まだ乾いていないとインクがお尻に付いちゃったりしてね。えー、こんなこと覚えているのは”タケダのプラッシー”を知っている世代まででしょうね?

 

私が聞いたところでは店舗やスーパーで文句を言うのは60過ぎ70過ぎの爺さんが多いそうですよ。「俺は今日10軒も回っているんだぞ」とか店員をどやす。しかし、この件に関して悪いのは店員ではなくて、すでにたっぷりため込んでいるのにまだ買っておこうとする消費者の方なのにね、そして店員の方も「すみません」と頭を下げる(腹ではそんな思いはまるでないのに)。

 

これ、ヨーロッパでは考えられないですからね。お客と店員は平等の関係です。ヨーロッパと比べてだけでなく他のアジアの国々と比べてもこれだけ上下関係をつくってしまっているのは日本だけではないでしょうか・・?
私が考えるところ、この一因は三波春夫にありますね。60年代か70年代からですか、「お客様は神様です」てなことを歌舞伎座かどこかで、まぁのうのうとおっしゃっていましたから。ホント気持ち悪い。『ちゃんちきおけさ』だけ唄ってればいいものをね。

 

そして気になるのがメディアの横文字が多いこと。今回も「クラスター」だとか「バンデなんとか」とかあんなこと言われたってわかんないでしょ。
普段でも「入口」のことを「エントランス」とか「聴取者」のことを「リスナー」とか、それじゃ出口のことを「エグジット」って言っているのかよ、と突っ込みたくなりますよ。もっと年寄り向けにやさしくわかりやすくしてほしいものです。

 

わからないと言えば、ヨーロッパではイタリアでの感染者数が1万7千人以上と突出して多いのはなぜなんですかね?逆にロシアでは出ていないんですかね?何かニュースになってないでしょう。本日の新聞の「新型コロナウイルス感染者が多い国・地域」という表の中にもロシアは含まれていません。これ何もウラ読みのようなことをしているのでなくてホント単なる”素朴な疑問”です。

 

花粉もウィルスも、そして放射線も見えない・・。いつだっか記念式典に行った時、郡山のタクシーの運転手が「(放射線が)見えないからいいんだか悪いんだか・・」と話してくれました・・・。

 

悪運も尽きる。自民党政権はいわゆる「55年体制」から数えるとすでに65年間、ほんのわずかな時間を抜かして超長期政権にあぐらをかいています。そして、そのほんのわずかな時間に1995年の阪神・淡路大震災があり(自社さ連合政権で首相は社民党のまゆげの村山富市)、2011年の東日本大震災の時は民主党政権でした。
しかし、今回世界的危機に直面して、カウンター対策は後手後手で大型豪華客船内で感染者数を増やしてしまい、突然全国学校一斉休校を発表して「私たちの生活を知らない」と大ひんしゅくを買う。そりゃそうですよね、首相はそれをする理由も効果もきちんと言わないし、記者会見では途中で逃げてしまう始末ですから。

「俺よりも無責任だぜ」(植木等)。((『ニッポン無責任時代』は大傑作!))

 

もういい加減に「悪夢のような自民党政権」はやめにしましょ!
少なくても競争させなくてはダメですよ!
それができるのは我々有権者です。
野党は一般生活者のためになる基本的な政策を考え話し合い(妥協が必要)有権者に発表しなくては!

 

スペイン風邪」以来と言っていいのでしょうか?
私が持っている電子辞書を引くと、「1918年から19年にかけて全世界に流行したインインフルエンザで、それによる死亡者数は第一世界大戦によるそれよりも上回ったと言われている」とあります。
ド素人大臣が揃っている自民政権はもとより、それに諮問されている専門家の先生たちも先が読めなくて判断がアッチ行ったりコッチ行ったりで2月発表の「山場はここ1~2週間・・」がその2週間後(3月9日)には「終息がわからない。年を越すかも知れない・・」に変わってしまいました。

 

日本国内では電車の中で咳をすると一斉に振り向かれたり、バスの中で花粉症の子供がくしゃみをするとおっかないおじさんから「次の停留所で降りろ」と言われたり、欧米では街中でアジア系の人が突然消毒液をかけられたり殴られたりと落ち着きがありませんよね。
その中で『東京』3月6日の筆洗の中に「肺炎対策でイスラエルパレスチナ自治政府が協力を始めた。ウイルスは国境を知らない、とパレスチナ当局者が言っている」と載っていました。

 

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ー駅 ロンドンー


で、ここからようやく副題になっているロンドン小旅行に関係する話に入って行けるのですが、5泊のうち最後の2泊は近所にあったアールズコートYH(ユースホステル)のドミトリーに泊まりました。日本ではYHそのものが少なくて、また若い人たちだけが利用できるものと思われていますが、ヨーロッパでは大人でもお年寄りでも普通に利用していますよ。
私が今まで利用したYHで一番気に入っているのはフライブルク(ドイツ)です。人口は20万人ほどの小さな街ですけど、でっかいYHで黒い森(シュバルツバルト)の入口になります。ドイツではたいがい朝食が付いていてそれもビュッフェ形式になっているから食べ放題。若者も若くなくても貧乏旅行をしている私のようなおじさんでも腹いっぱい詰め込んで、そして大きなリュックを背負って旅立っていけますよ!

バックパッカーズホステル(民間のYHのような宿泊所)で一番のお薦めはニュージーランドのピクトンにある『ヴィラ』。南島の北側の小さな街でフェリーの港になっています。ヴィラはとても家庭的でゆっくりできますよ。姉さん夫婦のもとで妹のニッキーが働いていて日本にホームステイをしたことがあるそうで、自分のことを「ニッキーさんニッキーさん」と呼んでいます。(今もいるかなー・・?)

 

そして、これは私のまったく個人的な考えですが、世界のリーダーたちは年に一度サミットとかをやっているようですが、その際の宿泊所はこれらのドミトリーにすればとお薦めします。いいじゃないですかね、トランプとシュー・キンペイが相部屋になったり、ジョンソンとメルケルが同じ部屋の洗面台で歯を磨いたりしてね(いやニュージーランドバックパッカーズホステルは男女関係ないですから)、みんな共同して生活することを覚えますよ。また各国それぞれの寝言を聞くこともできますよ。これけっこう面白いッスよ!

 

                           ー革新系ノンポリ

 

                            

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  ウァー、延期・・・
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『平凡』の平凡な思い出(207) ―ロンドンで『ぐつぐつ』を!Ⅲ―

 

『平凡』の平凡な思い出(207)
ロンドンで『ぐつぐつ』を!Ⅲ

 

最初は日本のことですが、最近アントニー(私の英会話講師)から聞いた話です。安倍首相は今まで一回も外国人特派員協会のインタビューを受けてないそうですよ。戦後何人首相が生まれたのかは知りませんが、その中で唯一のお人だそうです。つまりそこでの会見を”拒否”しているそうです。
余程”怯えていること”があるんでしょうねー・・?

 

そして12月12日の英国総選挙についてですが・・・
ロイターのJessica・Taylor記者が数字から解いています。

 

・67%
国民投票後の混乱から「何もかもうんざり」と有権者は感じていた。しかし、3分の2以上が投票を行ったそうです。日も短く寒くなり、そのうえ投票日は冷たい雨が降っていたにも関わらずです。
日本では最近50%強程度です。が、この数字を大きく上回る時がありました。そう民主党が政権を奪った2009年の総選挙の投票率はほぼ70%でした。

 

・220人
女性の当選者。これでもまだ下院議員の3分の1程度だけど過去最高だそうです。さて日本の女性国会議員の割合は・・・?

 

・43.6%
小選挙区制の罠”。この得票率で保守党が安定過半数を取りEU離脱が決まってしまったわけですが、2年前2017年の得票率は42,4%でその差はわずか1,2%33万票多かっただけ。なのに前回は惨敗で今回は圧勝。
理由は相手の野党が今回、結束・選挙協力ができなかったから。労働党のコービンの責任が大きい。
参考までにと前置きして2005年のブレアの労働党単独過半数を獲得した総選挙では、労働党の得票率はたった35,2%だった、そうです。
どこの国でも票が公正に反映されない小選挙区制は止めにした方がいいのではないでしょうか?

 

 

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ーロンドン 師走ー

 

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ーロンドン 師走Ⅱ(募金活動)ー

 

さて前回”お米と日本人”のことに触れましたが、もう10年くらい前にヤフーブログの時(9)に載せていました。それを一部少し書き直して今回もアップさせていただきたいと思います。

 

・・・
もう25年前になりますが(1995年)、本場のフットボール(サッカー)文化をこの目で見たくてドイツに私費留学をして来ました。予定は半年から1年間、午前中は語学学校でドイツ語の洪水を浴び、午後はスポーツクラブを見学勉強、週末は草フットボールに参加したりゲーム(ブンデスリーガ)を見て回りました。そして、出発する前は「長い人生の中のわずか1年間くらい日本食を食べなくてもどうってことないだろう」と、簡単に考えていました。
ところがそれはとんでもないカンチガイ、モウソウでした。
 
始め、6月下旬にフランクフルトに降り、それから学校のあるデュッセルドルフまで入校前の1週間、ライン河沿いを走る各駅停車のDB(ドイツ鉄道)に乗り、途中、2~3の小さな駅を乗り降りしてそのブドウ畑がいっぱいある田舎町に宿泊しました。
最初は洋食だけでよかったです、大丈夫でした。現地の食事以外にもいろいろな種類のパンやらスパゲッティも食べられますので・・・。しかし、3~4日するうちに白いごはんを食べたくて食べたくて・・段々段々、猛烈な衝動にかられて行きました。もう胃袋が「ごはん・・ごはんをくれ」と訴えているようでした。今でも覚えていますが小さな古城を改築したようなホテルの一室で真夜中「ごはんごはん・・」ともがいていましたよ。

 

そしてデュッセルドルフに着くと、一目散に中華料理店を見つけて、白いごはんをむさぼるように食べました。(まるで『幸福の黄色いハンカチ』の中で出所して来たばかりの高倉健かつ丼とラーメンをガツガツ食べるシーンがありましたが、あんな感じでした。いや別に私が網走に行っていたわけではないですよ・・念のために)
 
その後は日本人の友達に日本料理店の場所を教えてもらい、ガマンすることなく週1~2回通っていました。子供の時から慣れ親しんできた「お米と胃袋」、日本人にとっては切っても切れない関係です。
 
これは余談ですけど、こんなこともありました。午前中、“ドイツ語の洪水”を浴びた後、昼時一人で中華料理店に入り、麺類(五目うま煮そばのようなもの)を注文しました。何度か行っていた所だったので、中国から来ていた顔見知りのウエートレスと適当に世間話をしていました。そのせいで多少気が緩んでいたのでしょう。運ばれてきたうま煮そばを日本にいる時と同じように「ズルズルー」と音を立てて食べると、そのフロアにいた他の客が全員一斉に私の方に振り向いてきました。私は少し顔を赤らめてしまいました。
「ラーメンにしろもりそばにしろ音を立てて食べるからうまいんだ!」と、言いたいところでしたが、郷に入っては郷に従え、と言うとこですね・・。
それにしてもコレって一人だけだとけっこう目立ちますよ!
・・・         
     ラーメン、ズルズルーのこころダァー!(久しぶり) 

 

                             -ボンちゃん

 

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『平凡』の平凡な思い出(206) ―ロンドンで『ぐつぐつ』を!Ⅱ―

 

  『平凡』の平凡な思い出(206)
     ―ロンドンで『ぐつぐつ』を!Ⅱ

 

「駕籠(かご)に乗る人担ぐ人そのまた草鞋(わらじ)をつくる人」なぞと言いますけれど、横浜港に来ている大型クルーズ船って言うんですか・・?見た感じマンションと言った風貌で立派なお船ですね。乗客乗員合わせて3700人も乗っているそうで・・。世界各国のお金持ちがブランデーを片手に毎日おいしいステーキとかエビフライを食べているんでしょうねー?私なんかね、自慢じゃないですけど、隅田川の屋形船にも乗ったことがないし、ごちそうと言ったら月一回「サイゼリア」で食べる地中海ピラフくらいなもんですよ。その際、ドリンクバーのコーヒーを2杯紅茶を3杯無理やり飲みこんでね・・。
新型肺炎に関するニュースですけれど、私ゃ正直、別方向に関心が向かってしまいました。

 

しかし、エコノミークラスとは言えロンドンまで行けるんですからこれはやはり幸福なことです。TVやPCの画面ではなく生で見るゲーム生で感じるスタジアムの雰囲気は格別です。
さてロンドンパートⅡですけど、いや別に大したことを書けるわけではないですけれど・・、まぁ、よく言われることですけど、”天気と食事には期待しない方がいい”ですよ。1週間いてお日様が当たっていたのはわずか10分くらいでした。ほとんどがどんより雲で時々雨が降っていました。
そして、今回なぜかカフェラテをよく飲んでいました。最初にロンドンに行ったのは20年近く前でしたけれど、最近は英国でも紅茶だけでなくコーヒー類を飲む人が増えたみたいですよ。喫茶店のメニューにもラテ、オレ、モカカプチーノと種類が増えて、またネスカフェ自動販売機も置かれるようになっていました。

 

 

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ーロンドン 12月ー

 

パブだとかレストランに入り高いお金を出してフィッシュ&チップスを頼んでもうまくないしね、あんなもの子供が食べるおやつですよね?安ホステルの食パンを二枚入れて焼けるとポンッと跳ね上がるトースターを使って地味にバターを塗って食べるトーストの方がずっとうまかったっすよ。ホント、最近日本では見かけなくなったトースターはなかなか懐かしいものでした。
外に出てもハンバーガーショップが便利です。普段東京にいる時はそういった所に入ることは滅多にありませんが海外に出ると利用してますよ。ただしロンドンは東京より物価高。セットでハンバーガーにコーラとフライドポテトが付いたもので一番安いのでも1000円くらいしますから。そしてハンバーガーショップと言えば何と言ってもお薦めはミュンヘン中央駅の「バーガーキング」が最高に楽しいですよ。世界各国からの老若男女の旅行者が集まり賑やかさが格別です。あれは”世界の交差点”と言った感じです。

 

 

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ー ロンドン バスカー ー

 

わずか5日間ほどのロンドン滞在でしたが、その短期間でもやはりお米ー白いご飯が食べたくてすぐにホステルの近くにあったトルコケバプーの店(軽食堂みたいなところ)に入りましたよ。インディカ米で細長くボソボソした食感でしたけどやはりうまかったですよー!以前にもライン河沿いをゆっくり移動している時、胃袋が無性にごはんを欲しがっていた経験を書いたことがありましたけれど、日本人と米は切っても切れない関係っすよ。元は中国から輸入されたものであってもね。そう言えばラーメンも今では日本食ですものね。
店のラーメンが懐かしいィー!!

 

                          -ボンちゃん

 


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『平凡』の平凡な思い出(205)―ロンドンで『ぐつぐつ』を!―


 『平凡』の平凡な思い出(205)
     ―ロンドンで『ぐつぐつ』を!

 

「犬も歩けばチューブに当たる」、チューブとはロンドンの地下鉄のこと。東京同様線の数が多く(ピカデリーラインとかサークルラインとか)そのうえ駅間の距離が短いので、市内を歩いている時、道がわからなくなり迷子になっても適当に歩いているとどこかの駅にぶつかりますよ。

一昨年に続いて去年の12月に1週間休みを取ってロンドンに行って来ました。たまたま偶然でヒースロー空港に着いた日が総選挙の投票日の翌日で結果が出ていた時でした。街中は所々で集会とか何らかの衝突が起きているかと思っていたのですが、意外にも静かでした。翌日の14日はゲームが始まる前、チェルシー地区を歩いていたのですが、投票所となった所に看板がそのまま残されているくらいで街の雰囲気は”クリスマス前”といった感じでした。

その翌日は議事堂周辺を歩いてみたのですが騒いでいるのは二階バス乗っていた観光客くらいでやはり静かでした。(いや、私は何もその取材に来たのではなくB面に載せているようにプレミアリーグのゲームを見に来ただけなんですけどね)

 

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ー投票所になっていたところー

 

泊まったところは一昨年も利用したアールズコートのバークストンホステル(ホテルではないですよ)最初の日だけは日本から予約しておきシングルで手数料含め6000円くらい、二泊目と三泊目はシングルが空いていなかったのでドミトリーに移りました。ここら辺は市の中心地と空港の間にあり便利な場所ですよ。ちょっと歩けば自然歴史博物館もあるし反対側にはスタンフォードブリッジもあります。

駅から少し歩けば住宅街ですから小学校とか幼稚園を見ることができます。同じ写真を撮るなら生活の場とか仕事をしているところを撮れたらおもしろいんですけどね・・。

 

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チェルシー地区ー

 

そして、今回何か不思議な体験と言ったら大袈裟でしょうが、”フシギーな雰囲気”を味わってきました。
西ロンドンのカフェに入り、周りは外人さんばかりですよ・・いや、そこでは私が外国人なんですけどね。ラテを飲みながらICレコーダーに録音してある加川良の『下宿屋』を聴いたり柳家小ゑんの『ぐつぐつ』を聞いたりして、こんな贅沢な気分はなかったですよ、えー・・。

『教訓Ⅰ』もいいですけどまさに詩的な『下宿屋』はいいですよぉー。そして『ぐつぐつ』は新作落語の名作。おでんのタネを擬人化して語られ秀逸。そのうえマクラが面白い。「今では自販機や炊飯器までしゃべる時代。カーナビには設定すれば関西弁でしゃべるものもありますからね。それなら銀行のATMの音声もその土地土地の言葉で話した方が楽しいじゃないですかね。例えば静岡銀行熱川支店だったら、なんぼほしいんずらー。加代、おみゃーに貸せる金はねぇずらよー、とかね。ゆうちょ銀行神田支店だったら、一体いくら欲しいんだい。ボヤボヤするねぇ、さっさと押しやがれこの貧乏人!江戸っ子は気が短いんでぇ。10万円、持って行きやがれこのドロボウ!とかね・・ついでにですがゆうちょの生保には入らない方がいいですよ・・」えー、私自身で多少創作をしましたけれど・・。

こんな日本のフォークや落語を青い目の人たちの間に挟まれて聞いていたんですけど、これ実にクロスオーバーで?何か”フシギーな雰囲気”でした。

 

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チェルシー地区Ⅱー

 

そして英国繋がりになりますけれど、帰って来てからケン・ローチの最新作『家族を想うとき Sorry we missed you』を見てきました。
正直見ている間、つらかったです。ミラーのような映画。理不尽な格差社会人間性を否定して行く社会にますますなって行きそうで怖い。

12月11日にTBSラジオ『セッション22』ではケン・ローチに電話インタビューをしていました。監督は英国内だけでなくグローバルな問題であることを指摘していました。

そして聴取者からの投書メールに「これから日本が英国社会のようになって行くのかと心配で・・・」と寄せられていました。が、私はむしろ英国が日本社会のようになって行くのではと心配になりました。
と言うのも、あの映画のように進んで行ってしまったら英国内でもまちがいなく”過労死”が起きてきますよ。英語に(と言うより日本語以外に)過労死にあたる語はありません。当たり前ですよね。いくら仕事が大事だからと言って死ぬまで働けとは、これじゃ軍隊に近い。正直、日本人として恥ずかしいですよ。今後”Karoshi”なる語が世界共通語になるかも知れない・・?フントウに恐ろしい。

 

最後にこの作品の中にもとてもとてもユーモア度の高いシーンがありました。
主人公のリッキーが荷物を配達した家の男は地元のニューキャッスルのユニフォームを着ていて片やリッキーは生まれ故郷のマンチェスターユナイテッドのユニフォームを着ていた。それでまちがいなくフットボールの話になり段々エスカレートして行きお互いに相手のネガティブな過去を突きはじめ険悪になり、最後はいい大人がマジに罵り合うという大変愉快なシーンでした。これ向こうでは笑いの渦だったと思いますよ。

しかし、日本では残念なことにまったくそうはならない(笑っていたのは私だけでした)。映画ファンとフットボール(サッカー)ファンが重ならない。
これが私にとってはとてもとても残念でなりません。

 

                            -ボンちゃん-

 

※ヤフーブログが中止になり2~3か月前に「はてなブログ」に引っ越してきました。まだやり方がよくわからなくて困っているところです・・。こちらはフットボールコーナーです(英国に行って「サッカー」なんて言ったら笑われちゃいますよ)。
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      『平凡』の平凡な思い出(204)
                   ー今回もまたざっくばらんにⅨ

 

前回は1960年のことを書きました。
続いて今回は1970年のことを書かせてもらいたいと思います。
『人類の進歩と調和』をテーマに大阪万博が開かれた年でした。
その年に私個人は高校生になった年でしたが、小さな自室で何かしながら、当時のことで近所迷惑も考えずにフォークギターを”ガチャガチャ”いじっていた時だったか、突然ラジオが臨時ニュースを伝えました。11月25日でした。「自衛隊市谷駐屯地に三島由紀夫とその楯の会のメンバーが立てこもり・・・」とか。そんな速報でした。そして、籠城数時間ののち、何と割腹自殺を遂げたとか・・・。浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)じゃないんだから・・って思いましたけれど・・・。これはもう世間の人たちを驚かせさせましたよねぇ・・。「まさかー?」という感じだったでしょう。

 

私が小学校高学年か中学の時、TVニュースの特集で(アレはキャスターは古谷綱正さんだったか田英夫さんだったか?)楯の会が伊豆山中で軍事訓練をしている様子をリポートしていました。民間の軍事組織ですよ。
子供心に「おっかないおじさんだなぁー」って感じてましたよ。

 

そして今年5月の『ニュース23』(TBSテレビ)で三島が東大全共闘に招かれ討論会を行ったフィルムが残されていて、それを放送していました。
1969年5月13日東大駒場900番教室、とのことです。
その放送時、私は夜勤を一人でしていたので全部を見ることができなかったのですが、しかし、今時はネットで調べるとちゃんと放送内容がそのまま載っているんですね。ホント便利になりました(何か大正生まれのおじいちゃんみたい)。

 

思想派とでも言うのか哲学的政治的なむずかしいことを日夜考えている人たちの話すことは、右だろうと左だろうと、そうでない私にとっては寅さんの台詞じゃないけれど、後ろ頭がガンガン痛くなってきちゃう感じなんですけどね・・。とにかくよく言われていることで60年代70年代まではイデオロギーの時代、討論することが普通であった。なら今はどのような時代と言えるのか・・?いい悪いは別にして比べると個の時代、小グループの時代になっているんでしょうか・・?

 

その伝説的な討論会の佳境は全共闘の中でも理論派と言われた芥正彦が現れてからだそうです。彼は長髪、髭、それに赤ん坊を抱いていたそうです。当時から演劇活動を続け今も続けているそうです。

芥「あなたはだから日本人であるという限界を超えることはできなくなってしまうと言うことでしょう」

三島「できなくていいのだよ。僕は日本人であって、日本人として生まれ、日本人として死んで、それでいいのだ。その限界を全然僕は抜けたいとは思わない、僕自身。だからあなたからみたらかわいそうだと思うだろうが」

芥「それは思いますよね、僕なんか」
 「むしろ最初から国籍はないのであって」

三島「あなたは国籍がないわけだろう?自由人として僕はあなたを尊敬するよ。それでいいよねぇ。けれども僕は国籍を持って日本人であることを自分では抜けられない。これは僕は自身の宿命であると信じているわけだ」

芥「それは一種の関係づけでやられているわけですね」

三島「そうそう」

芥「だから当然歴史にもやられちゃうわけだし・・・」

三島「やられちゃうというか、つまり歴史にやられたい」

 

ね、何か小理屈こねてまだらこっしいでしょ?

 

そして次のテーマは天皇に移行して、「極左」と「極右」の討論は2時間半続けられたそうです。そして最後に三島は
「この言霊がどっかにどんな風に残るか知りませんんが、その言葉を、言霊を、とにかくここに残して私は去っていきます。これは問題提起にすぎない」
「私は諸君の熱情を信じます。これだけは信じます。他のものは一切信じないとしても、これだけは信じるということを分かっていただきたい」
と結んだそうです。

 

 

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ーTOKYOー写真と本文は関係がありません

 

平凡で世俗的な私から言わせてもらえば「自決なんかすんなよ。まだ45才だったんですよ」「飛行機なんか乗っ取るなよ。同じ年によど号乗っ取り事件があった」と言いたいですけれど、まぁ凡人は右と左のその間で生きているわけで大したことはできないけれど、ただ事実を見なかったり変えてしまうのはまずいですよ。

今に話を移すと、首相は「桜」だけでも解任、「モリ・カケ」では逮捕されるのが当然なことですよ。年を越したからと言って文句と抗議をやめてしまうのは御法度ですよ!!

 

                          ―ボンちゃん

 

           12月、偶然ですけど英国の総選挙の投票日の翌日にロンドンに到着しました。
            次回はロンドン小旅行のことをお伝えしたいと思います。

 

             ※ヤフーブログが中止になり2~3か月前にはてなに引っ越してきました。  
                こちらはフットボールコーナーです。ロンドン市内の写真が載っています。
                 https://momo0678.hatenablog.com/

 

 

 

『平凡』の平凡な思い出(203)
            ー今回もまたざっくばらんにⅧ

 

1960年という年は・・・まず”60年安保”を思い起こす人が多いと思いますが、私はまだ生まれててはいなかっ・・・いや生まれてはいたけれど、まだ小学生になる前で何のことやらさっぱりわかりませんでした。しかし、となりのカオルちゃんと表通りに出て肩を組み「アンポハンタイ、アンポハンンタイ」とジグザグデモの真似をしたことを今でも覚えています。(カオルちゃん今でも元気かな?)
始めに断っておきますけど、私、政治社会に関心は持っていますけれど、それが専門ではないので小難しいことはわかりません。

 

同じ年、社会党の浅沼委員長が日比谷公会堂で演説中に”右翼少年”に刺殺されたのもこの年の10月でした。(同じ頃のことだとは思っていましたが、同じ年の事件と知ったのは最近のことです)
そして、「『風流夢譚』事件」が起きたのもこの年から翌年にかけてのことだったそうです。私、この事件があったことを知ったのはつい最近のことです。
作家の深沢七郎天皇に関することを書いたことが右翼の攻撃に合い、しばらく逃げ隠れしていたそうです。
そして、別の右翼の少年が出版元の中央公論社の社長宅に行き(社長は留守)、家にいた社長夫人と家政婦にナイフで攻撃して夫人は重傷を負い、家政婦さんは死亡したそうです。
この二人のテロリストは共に日本愛国党員で過激なため事件時は除名されていたとのこと。そして、何と共に犯行時17才だったそうです。
また大江健三郎は『セブンティーン』という小説を書き、やはり右翼の攻撃を浴びていたそうです。

 

二つの事件の後、TBSラジオがその党の同年代の少年たちを取材したものが残っていて、先月『セッション22』で放送していました。
その10代後半の右翼少年たちの印象は声質は大人、話し方は子供、論理度は低いといった感じでした(勿論私が感じたことです)。
二人のテロを行った少年に対して同情のようなものを感じ「正当防衛だ」と話していた。「社会党は肉体的(暴力)ではないけれど、日本民族というものに向かってきていた」。だから「理由があった」と主張していた。
尊敬する人は一様に「先生(赤尾敏)です」。
日本の社会主義共産主義化をひどく恐れて、そのために米国と結ぶことを良しとした(右翼思想とは一見合わないんですけど?)。
岸(前首相)を絶賛し池田(首相)を腰抜けだと非難していた。
ヒトラーには「今叩かれているけれど、いい点もいっぱいあった」とも・・・。

 

その60年代後半には世界的に学園紛争が起こり、エスカレートすると左翼の暴力が頻発する。よど号をハイジャックしたり連合赤軍浅間山荘事件が世間を身震いさせた。総括と称するリンチ事件が起きていた。
これらを描いた映画も何本かあると思いますが、『光の雨』がお薦めです。

(原作・立松和平、監督・高橋伴明、出演・大杉漣

 

そして、同じ時代自分たちでつくった歌を自分たちで唄うフォークソングも大流行でした。大体歌だの美術だの芝居だのと現(うつつ)を抜かしている連中は暴力を好まない(中には例外もいるでしょうけれど)。
しかし、プロテストソングに代表されるように社会に対して闘っていた、声を上げていたことは事実です。直接、社会に対するものでなくても何かしら闘っていた。そんな印象を持っています。

そして、飛ぶようですが、今のJポップとか呼ばれている代物をFMラジオ等で聞いていると「やさしい」。そう感じます。しかし言葉を変えると「甘い」、何か「見ぬこと清し」になっていませんんか、ね・・?

 

                           ―ボンちゃん

 

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