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『平凡』の平凡な思い出(204)
ー今回もまたざっくばらんにⅨー
★前回は1960年のことを書きました。
続いて今回は1970年のことを書かせてもらいたいと思います。
『人類の進歩と調和』をテーマに大阪万博が開かれた年でした。
その年に私個人は高校生になった年でしたが、小さな自室で何かしながら、当時のことで近所迷惑も考えずにフォークギターを”ガチャガチャ”いじっていた時だったか、突然ラジオが臨時ニュースを伝えました。11月25日でした。「自衛隊市谷駐屯地に三島由紀夫とその楯の会のメンバーが立てこもり・・・」とか。そんな速報でした。そして、籠城数時間ののち、何と割腹自殺を遂げたとか・・・。浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)じゃないんだから・・って思いましたけれど・・・。これはもう世間の人たちを驚かせさせましたよねぇ・・。「まさかー?」という感じだったでしょう。
◆私が小学校高学年か中学の時、TVニュースの特集で(アレはキャスターは古谷綱正さんだったか田英夫さんだったか?)楯の会が伊豆山中で軍事訓練をしている様子をリポートしていました。民間の軍事組織ですよ。
子供心に「おっかないおじさんだなぁー」って感じてましたよ。
★そして今年5月の『ニュース23』(TBSテレビ)で三島が東大全共闘に招かれ討論会を行ったフィルムが残されていて、それを放送していました。
1969年5月13日東大駒場900番教室、とのことです。
その放送時、私は夜勤を一人でしていたので全部を見ることができなかったのですが、しかし、今時はネットで調べるとちゃんと放送内容がそのまま載っているんですね。ホント便利になりました(何か大正生まれのおじいちゃんみたい)。
◆思想派とでも言うのか哲学的政治的なむずかしいことを日夜考えている人たちの話すことは、右だろうと左だろうと、そうでない私にとっては寅さんの台詞じゃないけれど、後ろ頭がガンガン痛くなってきちゃう感じなんですけどね・・。とにかくよく言われていることで60年代70年代まではイデオロギーの時代、討論することが普通であった。なら今はどのような時代と言えるのか・・?いい悪いは別にして比べると個の時代、小グループの時代になっているんでしょうか・・?
★その伝説的な討論会の佳境は全共闘の中でも理論派と言われた芥正彦が現れてからだそうです。彼は長髪、髭、それに赤ん坊を抱いていたそうです。当時から演劇活動を続け今も続けているそうです。
芥「あなたはだから日本人であるという限界を超えることはできなくなってしまうと言うことでしょう」
三島「できなくていいのだよ。僕は日本人であって、日本人として生まれ、日本人として死んで、それでいいのだ。その限界を全然僕は抜けたいとは思わない、僕自身。だからあなたからみたらかわいそうだと思うだろうが」
芥「それは思いますよね、僕なんか」
「むしろ最初から国籍はないのであって」
三島「あなたは国籍がないわけだろう?自由人として僕はあなたを尊敬するよ。それでいいよねぇ。けれども僕は国籍を持って日本人であることを自分では抜けられない。これは僕は自身の宿命であると信じているわけだ」
芥「それは一種の関係づけでやられているわけですね」
三島「そうそう」
芥「だから当然歴史にもやられちゃうわけだし・・・」
三島「やられちゃうというか、つまり歴史にやられたい」
ね、何か小理屈こねてまだらこっしいでしょ?
そして次のテーマは天皇に移行して、「極左」と「極右」の討論は2時間半続けられたそうです。そして最後に三島は
「この言霊がどっかにどんな風に残るか知りませんんが、その言葉を、言霊を、とにかくここに残して私は去っていきます。これは問題提起にすぎない」
「私は諸君の熱情を信じます。これだけは信じます。他のものは一切信じないとしても、これだけは信じるということを分かっていただきたい」
と結んだそうです。
◆平凡で世俗的な私から言わせてもらえば「自決なんかすんなよ。まだ45才だったんですよ」「飛行機なんか乗っ取るなよ。同じ年によど号乗っ取り事件があった」と言いたいですけれど、まぁ凡人は右と左のその間で生きているわけで大したことはできないけれど、ただ事実を見なかったり変えてしまうのはまずいですよ。
今に話を移すと、首相は「桜」だけでも解任、「モリ・カケ」では逮捕されるのが当然なことですよ。年を越したからと言って文句と抗議をやめてしまうのは御法度ですよ!!
―ボンちゃん―
12月、偶然ですけど英国の総選挙の投票日の翌日にロンドンに到着しました。
次回はロンドン小旅行のことをお伝えしたいと思います。
※ヤフーブログが中止になり2~3か月前にはてなに引っ越してきました。
こちらはフットボールコーナーです。ロンドン市内の写真が載っています。
https://momo0678.hatenablog.com/